感動おすすめ傑作本 「永遠の出口」森絵都「海辺で読みたい」第1話 2003年 集英社初版
これまで、何千冊と本を読んできました。
自分でも十何冊、出版しています。
過去から現在に至るまで、いくつかの文学賞の下読みをしてきました。
今は、やはりいくつかの文学賞の選考委員として、毎年、50以上の原稿を読んでいます。
そんな僕が「海辺で読みたい本」を、ランダムかつ独善的にお届けする
「海辺で読みたい」感動2020年おすすめ本 第1話
今回は、
森絵都 「永遠の出口」
です。
ところで、
文学賞選考委員をしていると、小説の世界、というのは、まあ、予想通りというか、今は、完全に女性上位です。
7:3 または、8:2ぐらいの割合で応募者は女性の方が多いです。
一概にはいえないかもしれませんが、例えば、学生時代、小学生とか、中学生とか、
そんな多感な時期に、
昭和、または平成初期の時代は、
授業中、小さな紙切れ、または付箋紙などに、こちょこちょ書いて、先生の目を盗んで回していたのは、圧倒的に女子でした。
だいたいが先生の悪口や、勉強への不満とか、
あるいは、ものすごく、たわいのないこと、
例えば、放課後、アイス食べに行こう、とか、昨日のドラマ、最高だった、とか、まあ、そんな類のことを、せっせと書いて、仲間内で回していたわけです。
または、
冗談はよしこさん、とか、
オハヨーグルト、とか、
そんなバナナ、とか、
許してちゃぶ台、とか、
もう、死ぬほど、どうしょうもないことを、際限なく、そう、永遠に、回しっこしているのが、授業中の紙切れ、だったのです。
この「永遠の出口」も、全編、その、たわいのない小さな紙切れのようなエピソードで、出来上がっています。
だから、はっきり言って、大層な小説ではありません。
でも、傑作です。
永遠の傑作です。
死ぬほどの傑作です。
一生の傑作です。
読み終わったとき、
永い時間、ぼんやりしてしまうぐらいの。
あるいは、永遠に、読み終わりたくない、と思うぐらいの。
読んでいるうちに、涙が、とめどなく流れてくるぐらいの。
「私は<永遠>という響きにめっぽう弱い子供だった」
で始まるこの小説は、
永遠、という言葉に恐れ慄いていた、昭和の女の子の、小学生から高校生に至るまでの、何気ない日常、
学級内のヒエラルキーの話や、
お誕生会のゴタゴタや、
恐ろしい権力をもつ担任への反抗や、
絶対に除け者ができる奇数のグループには絶対にならないようにする生活の知恵や、
小学校を卒業した年の、あの、まるで中途半端な、どこか夢心地な春休みの一コマや、
とにかく何に対しても、反抗したかった中二病や、
雑貨ショップでの万引きや、制服や髪型の校則違反や、
そして恋に恋した初恋や、
反抗していても、やっぱり大切な家族のことや、
だから、反抗しながらも、結局はついていく家族旅行や、
高校生になって、憑物が落ちたように、地味に勤しむバイト話や、
恋に恋した初恋じゃなくて、リアルに恋した初恋や、
それでもやっぱり、恋に恋していただけだった初恋や、
いつもつるんでいた友達や、
いつの間にか、疎遠になった友達や、
反抗しながらも、大好きな家族や、
そんな断片で成り立っています。
けれど、その断片が、どれもキラキラと輝いていて、
森絵都の絶妙な語り口で、
手で触れられるぐらいに、生きています。
一人の女の子の思春期のさまざま。
それらは、いつしか、あなたになります。
そして卒業。
そう、卒業なのです。
最後は、みんな卒業するのです。
この主人公も、そしてあなたも。
いつかはみんな、大人になるのです。
子供の頃、永遠のように思えた日々は、
有限だったのだと、
子供の頃、死ぬほど永遠だった日々を
いつかは、みんな、誰もが、卒業して、大人になっていくのです。
授業中、永遠のように回していた、小さな紙切れも、
いつかは、誰も、
人知れず、
自分の心の奥底に、
そっと仕舞い込んで、
かつて、死ぬほど、一生懸命に、紙切れを回していたことを、忘れていくのです。
この小説は、永遠を信じて、紙切れを必死に回していた頃を思い出させてくれます。
だから、この小説を読むと、
無性に、切なくなり、
いつしか、号泣しているのです。
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