感動おすすめ傑作本「ジョゼと虎と魚たち」田辺聖子「海辺で読みたい」 第2話 1995年 角川書店初版
これまで、何千冊と本を読んできました。
自分でも十何冊、出版しています。
過去から現在に至るまで、いくつかの文学賞の下読みをしてきました。
今は、やはりいくつかの文学賞の選考委員として、毎年、50以上の原稿を読んでいます。
そんな僕が「海辺で読みたい本」を、ランダムかつ独善的にお届けする
「海辺で読みたい」感動おすすめ傑作本
今回は、
田辺聖子 「ジョゼと虎と魚たち」
です。
文章の上手い作家とは
昭和の時代、まだ作家が文化の主役でいられた時代、文章が上手い作家がたくさんいました。
三島由紀夫、とか、川端康成とか、常盤新平とか。
司馬遼太郎とか、星新一とか、椎名誠とか。
エッセイでは、山口瞳とか、開高健とか、佐藤愛子とか。
文章が上手い、というのは、どういうシステムなのか、というと、以下のようにとらえています。
文は、言葉の選び方、配列の二つの要素から成り立っているので、その二つの要素の交配が、上手い。
文章とは、文の並び方で成り立っているので、その並ばせ方が、上手い。
文と作者の距離感 リズム感
これが、文章が上手い作家は、とても絶妙なのです。
そして、さらに、というより、何より、
最終的にはここなのです。
深さ
それは上手い、というよりは、
旨い、のです。
滋味が豊かなのです。
そうした旨さを兼ね備えた昭和の文豪の中でも、一際すごいヒトが、
田辺聖子
です。
彼女の作品を、一つでも読めばわかります。
文章がいいなあ、と。
リズムがいいなあ、と。
距離感もいいなあ、と。
絶妙だなあ、と。
でも、読み進むうちに、気づくのです。
ただ、上手いだけなのでない、と。
田辺聖子の作品は、
上手い、といった、上っ面の、平面なところで語れるモノではないと。
心の奥底の、
魂の在り処に、ひっそりとたたずむ、
古い古い過去を覗かれたような、
そんな感覚に、いつしか、心をもっていかれる、と。
文が、言葉が、配列が、リズムが、
そのひとつひとつが、
一緒くたになって、
深海に、ようやく届く太陽光の、
青白い光のように、
心の奥の奥の、その奥をほんのり照らして、
揺らぐ海藻のような、ざわめきを魂にもたらすのです。
そんな天才、田辺聖子の、
まごうことなき傑作のひとつが、
この「ジョゼと虎と魚たち」なのです。
もちろん、あの映画の原作です。
ぜひ、映画を見て、心に何かを感じたら、この短編集も手に取ってもらいたいです。
映画とはまた違うなにかが、心の奥深いところに、やってくることでしょう。
この「ジョゼ虎」
映画は、もちろん、傑作です。
そして、この短編集も、まごうことなき傑作なのです。
映画を傑作たらしめているのは、例えば、ラストシーンの、底無しの寂寥、
妻夫木の号泣、なのかもしれません。
短編集を傑作たらしめているのは、例えば、ラストシーンの、無限の幸福、
ジョゼのこういう台詞、
アタイたちはお魚や。「死んだモン」になったー (田辺聖子「ジョセと虎と魚たち」角川書店 1985)
なのかもしれません。
そう。
この短編の最後が、
そのときの描写が、あまりにも深くて、死にます。
魚のような恒夫とジョゼの姿に、ジョゼは深い満足とためいきを洩らす。恒夫はいつジョゼから去るか分らないが、傍にいる限りは幸福で、それでいいとジョゼは思う。そしてジョゼは幸福を考えるとき、それは死と同義語に思える。完全無欠な幸福は、死そのものだった。(田辺聖子「ジョセと虎と魚たち」角川書店 1985)
そして、ジョゼは、傍らに眠る恒夫の指に自分の指をからませ、体をゆだね、安らかに眠るのです。
とにかく、この短編集は、日本の至宝です。
ぜひ、ジョゼ虎だけでなく、1ページ目から、最後まで、順を追って読んでみてください。
またたく間に田辺聖子の虜になってしまうでしょう。
そして、恋愛を、しかも、大人の男女の、
山田詠美さんの後書きの言葉を借りれば、「人生のいつくしみ」を味わってみたい、と思ってしまうかもしれません。
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