感動おすすめ傑作本「遠いアメリカ」常盤新平「海辺で読みたい」第4話〜純文学の喫茶ロック〜
喫茶ロックと喫茶文学
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「遠いアメリカ」常盤新平 1986 講談社
翻訳家でもある常盤新平に「遠いアメリカ」という小説があります。
直木賞を受賞した作品です。
舞台は、昭和30年代の東京。
主人公の重吉は、毎日、古本屋を廻りアメリカのペーパーバックを買いあさり、喫茶店に入り浸っている大学院生です。
いわゆる高等遊民的な学生の、
怠惰と言われても、何も言い返せない、
けれど、少しずつ、夢に向かって歩み始める4年間を、
さらりとしつつも、滋味豊かな文章で綴っています。
大きな事件が起こるわけでもありません。
ただ主人公は、
翻訳家になろうとしても、どうしたらなれるのか皆目分からず、
晴れぬ霧の中をあてどなく彷徨っています。
まだ何者でもない自分、
何者になるかも分からない宙ぶらりんな自分、
そんななかでの恋、
彼女もまた、まだ何者でも、なく、
だから、ふたりは下北沢の街角で、
電灯が仄かにともる夜の片隅で、
ぎこちなく求め合いながら、
言葉にできない、茫漠とした未来のようなものに、押しつぶされそうにもなるのです。
それでも、ふたりは、ふたりの世界を、
少しずつ、紡いでいきます。
背景は、昭和30年代の東京です。
都電が縦横無尽に走り回り、
首都高速が空を覆う前の東京。
六本木、誠志堂。
クローバー。
ババロア。
イエナ書店。
幾多の喫茶店。
風街そのものの東京。
日本を背負って生きてきた親との距離感に苛立ちながら、
ただ、憧れるアメリカ。
そう。
アメリカなのです。
遠いアメリカ。
遠い遠い、遠いアメリカ。
主人公はアメリカに憧れています。
映画のなかのアメリカ。
雑誌のなかのアメリカ。
未だ見ぬアメリカ。
コカコーラのアメリカ。
ハンバーガーのアメリカ。
スージー・パーカーのアメリカ。
そしてピッツァの、アメリカ。
遠いアメリカ。
そういえば、寺山修司の詞にもアメリカの詞がありました。
長田弘の詩にも、アメリカの詩がありました。
戦争に負け、
一挙に押し寄せたアメリカは、
凄まじいまでに圧倒的で、
まばゆいほど光り輝き、
ソフトケィテッドという洗練に包まれ、
だからこそ、獰猛でした。
若者たちは、好むと好まざるとにかかわらず、
未だ見ぬアメリカに、がんじがらめにされました。
クラクラするほどの幻惑。
グラグラするほどの困惑。
当時の若者たちは、
はるか遠いアメリカを、
未だ見ぬアメリカを、
だからこそ、
どうにか自分のものにしようと、
この混沌とした寄るべなさに、
どうにか落とし前をつけようと、
のたうち廻り、
転げ廻り、
逡巡し、
行き止まり、
光明を見出し、
ようやく、見つけたのです。
「ニッポンのなかのアメリカ」を。
そんな、
アメリカと正面から向かい合った、
無名の若者の、
これは、ひとつの鮮やかな記憶なのです。
ところで、そうした心持ちは、音楽にも通じています。
喫茶ロック。
2000年代初めに造られたこの造語は、
1950年代〜1970年代初頭までの、オルタナティブな日本の音楽で、
今の耳で、とても魅力的な楽曲に与えられた名称です。
まさに、言い当て妙です。
「遠いアメリカ」の主人公重吉は、いつも喫茶店にいました。
はっぴいえんどの細野晴臣や松本隆も、いつも喫茶店にいました。
そうなのです。
1950年代〜1970年代初頭までの、オルタナティブな、
文学は、
映画は、
音楽は、
全て、
喫茶文学であり、
喫茶映画であり、
喫茶ロックなのです。
喫茶ロックの主人公たちは、
1960年代終わりから1970年代初頭に、音楽を創造していた若者です。
有名なヒトもいれば、無名なヒトもいます。
でも当時は、ほぼ、無名でした。
曲もほぼ、無名でした。
少なくとも、
売れ線ではありませんでした。
レコードの溝には、ようやく刻まれても、
例えば、シングルレコードのB面だったり、
そのアーティストの、たった一枚だけのアルバムのなかの、ひときわ売れそうもない曲だったり。
けれど、
2000年代の耳で聴くと、
え、
こんな曲が、40年も、50年も前に造られていたの? と、
それらはすべて、驚くほど、今の音です。
しかも、
どの曲も、
心の奥底を、掴んで離さない、
プリミティブで、けれどとても洗練された詞をもっています。
喫茶ロックを象徴するバンド、
はっぴいえんどの、最後の曲は、「さよならアメリカ、さよならニッポン」です。
はっぴいえんどは、
細野晴臣も、
松本隆も、
大滝詠一も、
鈴木茂も、
そして喫茶ロックの主人公たちである、当時のミュージシャンは、
誰もが心に、
遠いアメリカをもっていて、
それに憧れ、それを憎み、
どうしたら落とし前がつけられるかそのことを、ずっと、
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、
彷徨いながら、のたうち廻りながら、
逡巡しながら考え続け、
音楽を創り続け、
そうしていつしか、ようやく、
アメリカでもない、
ニッポンでもない、
強いて言えば、
「ニッポンのなかのアメリカ」を、
誰もが聴いたことのない言葉、
誰も聴いたことのない音楽、
を創りだす過程が、喫茶ロックだったのです。
そして。
ようやく言えた言葉。
「さよならアメリカ」
ようやく言えた音楽。
「さよならニッポン」
それらの言葉が、奥深く刻まれているからこそ、
喫茶ロックは、
または、今回の「遠いアメリカ」のような、喫茶文学は、
何十年経っても、色褪せず、
未だに僕らの心を鷲掴みにするのです。