風街をあつめて、3回目です。

 
 

 
 

今回も、松本隆です。

 

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松本隆に「微熱少年」というエッセイ集があります。

初版は1975年です。

 

「風のくわるてつと」が、松本隆にとって、青春の墓標とすれば、

こちらは、微熱からの卒業、でしょうか。

「風のくわるてつと」では、まっすぐと吐き出されていた熱が、「微熱少年」においては、随分抑制されています。

なんて、ずいぶん上からですが。

 

1975年といえば、はっぴいえんどを解散させて2年、

彼らが、それぞれの道を歩み出した頃です。

細野晴臣はティンパンアレーを、

大瀧詠一はナイアガラレーベルを、

鈴木茂はバンドワゴンを、

そんな感じで、

 

松本隆も、アグネスチャンや、チューリップの歌詞を手がけ、

太田裕美に出会った頃で、

 

ですから、このエッセイ集にも、なんとなしに、

自分の道を見つけた落ち着きを感じます。

1975年。

松本隆は、それでもまだ、26歳。

 

ところで、

 

松本隆は、この本で、

「なぜ風街なのか」と自分自身に問いかけています。

 

なぜ風街なのか。

 

彼は、こう書いています。

街、についての記述です。

町ではなく「街」です。

 

「町」には、

機能的なイメージが付きまとうが、

「街」は、

「子供時代のぼくにとって、世界と同じ広さをもっていた」

 

それは、

 

空間的に開けた胎内空間だった。

とも。

 

すごく同意です。

 

松本隆の生家は、青山教会の隣でした。

今は、外苑西通りになっています。

 

 

外苑西通りは、1964年の東京オリンピックに合わせて作られた道です。

割と突貫工事だったらしいので、例えば、1962年に立ち退いたとすれば、

松本隆は13歳。中学1年生。

生まれてから小学校時代の全て、を過ごした場所。

ということは、ここが、彼の故郷なのは間違いありません。

故郷というと、つい山里、といったイメージを持ちますが、都会も都会、しかも、青山、西麻布が「故郷」の者も、もちろん、います。

 

1950年代の青山、西麻布は、まだまだ、普通の街でした。

 

あの路次を曲がれば駄菓子屋があって、あそこは、誰々の家で、この空き地では野球ができて、この広小路には、いつも紙芝居屋さんがきて、

そんな街でした。

ですから

松本隆にとって、

かつての南青山は、

 

 

世界と同じ広さをもつ、

自分の街だったのです。

 

自分のすべてがある、

自分の街。

 

そうですよね。

生まれてから小学校を卒業するまで住んでいた街は、誰にとっても、自分の街です。

故郷です。

 

地図ではこんな感じです。

これが今の地図です。

 

 

写真です。

 

 

 

 

 

外苑西通りがとおっています。

 

 

先ほども書いた通り、

外苑西通りは、1964年の東京オリンピックに合わせて作られた道路です。

もし1962年に、立ち退きがあったとすれば、

彼は、13歳、中学1年生。

 

あたり一帯、みんな立ち退いたはずです。

 

 

慣れ親しんだ駄菓子屋も、

一緒に草野球をやった友達も、

メンコを打った路次も、

風の匂いも、

 

彼の街のすべてが、

 

彼の「世界」すべてが、

 

彼の故郷すべてが、失くなったのです。

 

「喪失」

 

繰り返します。

「街」は、

「子供時代のぼくにとって、世界と同じ広さをもっていた」

 

松本隆はそう、書きました。

「それは、空間的に開けた胎内空間だった」。

 

 

国土地理院が公開している1945年〜1950年の航空写真です。

赤丸は松本隆生家です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風街が、ありました。

 

 

 

 

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