【2020年代目線での】今こそ聴きたいニッポンの大名盤50選〜Vol.1〜「中川イサト1970年」
新しい企画を始めました。
これまで和洋問わず、何千枚もレコードを聴きまくり、またDJの現場感覚から目利きした、
主に1960年代から1980年代にかけて制作されたレコードで、
特に2020年代に聴くべき厳選作品をお届けする、
名付けて、【2020年代目線での】「今こそ聴きたいニッポンの大名盤50選」
これまで和洋問わず、何千枚もレコードを聴きまくり、またDJの現場感覚から目利きした、2020年代に聴くべき邦楽レコードをお届けする、名付けて、【2020年代目線での】「今こそ聴きたいニッポンの大名盤50選」 […]
最初は、このアルバムです。
中川イサト 「1970年」 URCレコード 1973年発売
ニッポンのロックがどこから始まったのか、という命題は、しばしば、意見の分かれるところです。
ロック、という言葉がちょっと難しければ、
今に繋がる日本の大衆音楽(ニューミュージック〜JPOP)が、どこから始まったのか、と言い換えてみます。
そして、50年の風雪に耐える世界基準の音楽を、いつ頃から日本で作り始めたか、ということです。
1960年代、まだまだ日本の大衆音楽の表舞台は、演歌を軸とした旧来の歌謡曲でした。
紅白歌合戦の視聴率が、1963年に歴代最高の81.4%を叩き出し、その年のトリ、大トリは、三波春夫と美空ひばりでした。
もちろん、アメリカナイズされた楽曲や歌手も徐々には増えていました。
ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、雪村いづみ、平尾昌章、飯田久彦、弘田三枝子、、、、。
または、空前のGSブームもありました。
カレッジフォークという、ちょっとした改革もありました。
けれど、それらはまだ、旧来の演歌、歌謡曲のシステム内でのちょっとした新意匠でしかありませんでした。
ここで問うているのは、ニッポンの音楽が、はっきり自立して、自分のものとしての音楽を創りだした瞬間です。
そして、世界基準の音楽を創りだした瞬間です。
僕は、その瞬間を1970年とします。
だからこそ、このシリーズの最初に、「中川イサト、1970年」をもってきました。
ところで、1960年代終わりから1980年代にかけて、2020年目線での名盤を作ってきたアーティストは、いったい、いつ頃生まれた人なのでしょう。
最初に思い浮かぶ先駆者は、加藤和彦です。
加藤和彦は、1947年に生まれています。
さらには、西岡たかしです。
西岡は、1944年に生まれています。
そして早川義夫です。
早川は、1947年生まれです。
彼らのちょっとあとから出てきた、
細野晴臣は、1947年、
松本隆、1949年、
大滝詠一、1948年、
遠藤賢司、1947年、
久保田麻琴、1949年。
あがた森魚、1948年。
大阪に目を向けると、
西岡恭三、1948年、
中川イサト、1947年です。
佐藤博も、1947年です。
高田渡は、1949年。
まあ、高田渡は、なんとなく京都、関西という感じですが、実はご存知のとおり、東京三鷹が本拠地です。
女性では、
金延幸子、1948年生まれ、
藤原秀子、1946年。
異色のところでは、
ベルウッドの三浦光紀、1944年。
レコーディングエンジニア、吉野金次、1947年。
海外に目を向けると、
ピーター・ゴールウェイ、1947年、です。
ジェイムス・テイラーは、1948年です。
つまり1944年生まれの西岡たかし、三浦光紀は、少しばかり先輩ですが、その他は、ほぼ1947年あたりに集中しています。
ということで。
どういうことかといいますと、
彼らが、一番多感な中高生の頃に、
プレスリーがいて、
アメリカンポップス黄金時代で、
ビートルズが現れた、
ということです。
エルビスプレスリー、1935年生まれ。
ちなみにあの衝撃の「ハートブレイク・ホテル」でのデビューは1956年、
1947年生まれなら、9歳。
その後も、「ハウンドドッグ」などのヒットを飛ばし続け、その余波でロックンロールの名曲が数多く生まれ、ソウルミュージックからはモータウンのヒットソングが量産され、
またはベンチャーズ、ビーチボーズなどのサーフィン系、
ボブディランなどのフォーク系も台頭し、
そうした、めくるめく豊かな音楽事情が、アメリカと、イギリスで展開されていたのです。
しかも、ブラジルでボサノヴァが誕生したのが、1950年代後半。
彼らの中・高時代は、世界的に、今の大衆音楽の基礎となるものが、一斉に萌芽した時代でもあったのです。
ボブ・ディラン、1941年生まれ。
デビューは、1962年。
ジョンレノン、1940年生まれ。
ポールマッカートニー、1942年生まれ。
ビートルズデビュー、1963年。
やはり彼らの中・高時代。
ブリティッシュトラッド界からは、
バート・ヤンシュ、1943年生まれ。
マーティン・カーシー、1941年生まれ。
ポール・サイモン、1941年生まれ。
ドノヴァン、1946年。
そして。
サイモン&ガーファンクルのデビュー、1964年。
バート・ヤンシュデビュー、1965年。
ドノヴァンデビュー、1965年。
そうした、さまざまな新しい動き、魅力的なヒットソングを、アンテナの高い彼らは、
FENあたりで、しっかりと吸収していたわけです。
または、裕福な環境をフル活用して、兄などからのレコード盤で、
または、最先端をいく友達などからのレコード盤で、
または、地勢的に、米軍キャンプとのつながりから、
さまざまなチャンネルを駆使して、当時の最新音楽を仕入れていました。
そしていよいよ同世代ちょっと上も活躍を始めます。
スティーヴン・スティルス、1945年、
ニール・ヤング、1945年、
バッファロースプリングフィールドのデビューは、1966年。
スキップ・スペンス、1946年生まれ、
モビーグレイプデビュー、1967年。
彼らがはっぴいえんどに与えた影響については、論を待ちません。
ということで、最初に、
名盤50選を語る上で欠かせない、
ニッポンの名盤を作り出した人びとに多かれ少なかれ影響を与えたであろう、
アメリカ、イリギスのアーティストにふれます。
まずは、プレスリーです。
大滝詠一は、プレスリーの影響を公にして憚りませんが、もちろん、ビートルズの面々も、まずはプレスリーありきだったでしょう。
エルビス・プレスリー
「ハートブレイク・ホテル」を聴いたことですべてがひっくり返ってしまった」
「リバプールを出る直接のきっかけはエルヴィスだった。一度耳にしてしまったら生活のすべてになった。ロックンロール以外のことなど考えられなかった」
「エルヴィスを聴くまで何も魅力的だと思ったことはなかった。エルヴィスがいなければビートルズは存在しなかった」
出典;「ザ・ビートルズ・アンソロジー」リットーミュージック刊 2000年
ジョンの言葉です。
実は、ジョンには、
憧れのエルヴィスに初めて会った1965年、
「君たち(ビートルズ)のレコードはすべて持っているよ」とエルヴィスが言ったことに対して、
「僕はあなたのレコードは一枚も持っていません」
と応え、場を凍りつかせ、
以来、エルヴィスはずっと、ジョンを嫌っていた、という真贋怪しい逸話もあるのですが、
ジョンレノンのハジレコは、まさに「ハートブレイク・ホテル」だったという情報もあり、
だから、ジョンの本心は、やはり、冒頭に書いたとおりだったでしょう。
それは、ポールも、ジョージも、リンゴも、同じ想いだったでしょう。
遠く日本でも、大滝詠一をはじめ、エルヴィスにヤられ、ミュージシャンを目指した者は数知れず、
そうしたなかには、今回のシリーズで紹介する名盤の作者も少なからずいます。
ということで、ルーツのひとつとして、みんなに影響を与えたこのシングルを紹介しておきます。
このハートブレイクホテルの、モダンなクールさと、エルヴィスのひたすら黒い情念の歌声は、やはり、60年前の世界で、これから音楽を目指すテーンエイジャーに与えたインパクトは想像を絶するものだったと思います。
バート・ヤンシュ
1943年、イギリス、スコットランドで生まれたヤンシュは、テーンエイジャーの頃は、ウディガスリー、ビッグ・ビル・ブルージー、ライトニン・ホプキンス、ブラウニー・マギーなどを聴き、デイブ・グレアムのギター奏法を学び、高校卒業後は庭師として働きながら、クラブなどでギターを弾いていた、といいます。
とにかく、唯一無二のアコースティックギタリストです。
今回の主役、中川イサトも、相当、影響を受けたであろうと思われます。
とにかく特徴的な、パッション鋭いスパンキング奏法。ジャズのイデオムにも則ったスリリングなスケール。
もちろん、歌も味わい深いです。
でも、やはり、ヤンシュといえばペンタングル。
ジョンレンボーンとのギターインタープレイ、ダニー・トンプソンのダブルベース、ドラム、テリー・コックスのジャズ奏法。
そしてジャッキーマクシーの、美しくもクールな歌声。
ペンタングルファーストの、あまりにもモダンなジャケットデザイン。
電気楽器を使わない、いわゆるブリティッシュトラッドフォークジャズ。
何から何まで、革新的で、今聴いても、未来の音楽です。
たぶん、中川イサトは、このペンタングルを、彼のバンド、「愚」で再現したかったのではないでしょうか。
ヤンシュのアルバムは、どれも聴きごたえがあるのですが、このジャックオニオンは、かの、「ブラック・ウォーター・サイド」も入っていると、いうことで、紹介させてもらいました。
また、是非ともペンタングルもチェックを。
中川イサト 1970年
随分寄り道しましたが、いよいよ本題です。
【2020年代目線での】名盤50選、栄えある1作目は、このアルバムです。
とはいえ、このアルバムを紹介するためには、まず、「五つの赤い風船」について触れなくてはならないと思います。
「五つの赤い風船」は初期フォークブームにおいては、高石ともや、岡林信康とともに、絶大な人気を博していたグループです。
1965年、大阪で結成されたPPMフォロワー、「ザ・ウインストンズ」を藤原秀子と結成した中川イサト、その1年後、藤原秀子の友人の画家、西岡たかしの家にメンバーみんなが出入りするようになって、いつの間にか、「ザ・ウインストンズ」が「五つの赤い風船」になったという経緯があります。
ある意味、この「風船」や、または、早川義夫の「ジャックス」、さらには加藤和彦の「フォーククルセイダーズ」あたりのレコードを、日本のロックの始まり、と捉えることも、できるのかもしれません。
実際、そうした書物なども見たことがあります。
そのこと自体、否定するわけではないのですが、今回の名盤50選の選考基準として、
ということにしたので、
実は、「五つの赤い風船」のレコード、「ジャックス」のレコード、「フォーククルセイダーズ」のレコードは、残念ながら、全曲聴けなかったので、外しました。
もうこのあたりになると、趣味嗜好の部分も多くなってしまいますが、
ただ、現場感覚で言えば、この中川イサトのレコードは、いまだに現場で(クラブや音楽バー)でかけても全然違和感ないのですが、
ジャックスや「五つの赤い風船」、「岡林信康」は、飛び道具としてはいいのですが、実際、しっかりかけるとなると、ちょっと厳しいものがあるのも事実です。
ということで、「五つの赤い風船」に関しては、そして西岡たかしの諸作に関しては、今回の名盤に入っていないのですが、
それでも中川イサトがまずここでプロのスタートを切った、ということは、それなりに意義があったように思います。
彼は早々に脱退して、金延幸子と「愚」を結成します。
そして、そのかたわら、今回の「1970年」を録音します。
どうやら相当なプライベート録音だったようです。
とはいえ、西岡たかしも全面的に協力し、また、村上律、松田幸一も参加しています。
とにかく、全曲、聴けます。
このことは、DJにとって、とても大切なことです。
先ほどもいいましたが、今回の名盤の基準は「全曲が聴ける」ことです。
DJは、とにかくレコードを買います。
一回の買い出しで、100枚買うこともあります。
気がつくと、レコードがどんどん溜まっていきます。
ですから、聴く時も超スピードで聴いていきます。
1曲づつ、イントロに針を落とし、中盤に針を落とし、そして、少し引っかかるものがあれば聴き込む、という感じです。
ですから、一枚のアルバムを通しで全部聴くことは滅多にありません。
けれど、稀にそういうアルバムがあるのです。
A面一曲目のイントロに針を落とし、つい、1曲を聴いてしまった。2曲目が始まる。これもつい聴いてしまった。
こうなると、名盤の雰囲気がぷんぷん、漂ってきます。
そんな感じでA面をすべて、聴き終え、B面に返し、さらに最後まで聴くことができれば、それは、まごうことなく名盤なのです。
実は、普通のレコードでは、1曲、通しで聴ければいい、ぐらいの感じなのです。
2曲、通しで聴ければ、それはもうアタリなのです。
3曲、通しで聴ければ、友達にも自信を持って薦められる、そんな感じなのです。
名盤一歩手前です。
ということで、全曲、通しで聴ける、ということの凄さが、なんとなく掴めるのではないでしょうか。
そして、この中川イサトは、本当に、50年前?と思うほど、今を感じさせます。
もちろんアコースティックなので、音自体が古びない、ということもあるでしょうが、
やはり、演奏する人びとの精神が、時代に媚びていない、ということが一番なのだ、と思います。
そしてとてもクリアな精神で音と向き合っている、
中川イサトのその姿勢が、彼の音楽の純粋さが、このアルバムを世界水準にさせた一番の要因と思います。
これまで和洋問わず、何千枚もレコードを聴きまくり、またDJの現場感覚から目利きした、2020年代に聴くべき邦楽レコードをお届けする、名付けて、【2020年代目線での】「今こそ聴きたいニッポンの大名盤50選」 […]
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