【2020年代目線での】今こそ聴きたいニッポンの大名盤50選〜Vol.3〜友部正人『誰もぼくの絵を描けないだろう』1975
これまで和洋問わず、何千枚もレコードを聴きまくり、またDJの現場感覚から目利きした、
主に1960年代から1980年代にかけて制作されたレコードで、
特に2020年代に聴くべき厳選作品をお届けする、
名付けて、【2020年代目線での】「今こそ聴きたいニッポンの大名盤50選」
これまで和洋問わず、何千枚もレコードを聴きまくり、またDJの現場感覚から目利きした、2020年代に聴くべき邦楽レコードをお届けする、名付けて、【2020年代目線での】「今こそ聴きたいニッポンの大名盤50選」 […]
3枚目は、このアルバムです。
友部正人 『誰もぼくの絵を描けないだろう』 CBSソニーレコード 1975年
友部正人っていうヒトは、どうカテゴライズすればいいのでしょう。
フォークシンガー。
シンガーソングライター。
アーティスト。
エッセイスト。
詩人。
詩人が一番しっくりきます。
もしくは、旅人。
というか、友部正人をカテゴライズしようとする発想自体、イミフなのでしょう。
友部正人は友部正人なのです。
友部正人は、1950年、東京、吉祥寺で生まれました。のち、各地を転々とし、1972年、URCレコードから、かの有名な「大阪へやって来た」でデヴューします。
永島慎二をもってして『友部はいつも、風の吹く方を見て話をしているね』と言わしめた、やはり、彼は、シンガーという以上に、詩人なのでしょう。
友部正人の歌(詩)の本質は、聴いてもらわないとそのニュアンスはうまく伝わらないですが、
一言でいうなら、
『本来、言葉に置き換えられない人間の根源さを、あえて言葉として伝えようとするもどかしさ』
なのかな、と感じます。
ですから、彼の歌(詩)は、いつも、不器用です。
彼の声も不器用です。
彼のブルースハープ、彼のギターも、不器用です。
けれど、どの曲も最高傑作です。
なぜならどの曲も、その時、その時の、友部正人の捉える、言葉にできない人間の根源さを、あえて言葉にしようとするもどかしさの表出、だからです。
ですから、友部正人のアルバムは、どれも、常に最高傑作です。
そうした最高傑作群のなかから、今回、彼にとっての4作目である本アルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」を選んだ理由は、
特にありません。
「大阪へやって来た」でもよかったし、「にんじん」でも「また見つけたよ」でも「どうして旅に出なかったんだ」でもいいのです。
とはいえ、このアルバムをピックアップした理由をあえていうなら、ジャケットでしょうか。
ここに写る友部正人の表情がとても好きです。
裏ジャケットは、若き日の友部正人と坂本龍一が、どちらも、自分だけの風の方角を向いている写真です。
このアルバムでは、坂本龍一のピアノ伴奏が聴けます。
坂本にとって、レコード盤に刻まれた初めての演奏です。
A面5曲目の「おしゃべりなカラス」
B面3曲目「ひとり部屋に居て」
そして最後の「あいてるドアから失礼しますよ」
この3曲で、
坂本の、詩に寄り添いながらも、やはり坂本独自の風の方を向いて弾いているピアノを聴くことができます。
友部正人の詩の一部を抜粋することの無意味は承知で、「あいてるドアから失礼しますよ」から一部を抜粋してみます。
吐息はズボンさ
夜風は電車さ
眠るあなたは炎の中さ
メキシコ人たちはハイウェイの上さ
ぼくは旅する日本人
小さな喫茶店でひと休み
友部正人「あいてるドアから失礼しますよ」1975
そういえば、たまのボーカル、知久寿焼(ちくとしあき)は、友部正人を聴いて音楽を始めた、と言っていました。
これまで和洋問わず、何千枚もレコードを聴きまくり、またDJの現場感覚から目利きした、2020年代に聴くべき邦楽レコードをお届けする、名付けて、【2020年代目線での】「今こそ聴きたいニッポンの大名盤50選」 […]