風街インサイドエッセイ サーフィンになる
文学賞選考委員によるインサイドエッセイ
サーフィンと祈りのストーリー
出会いと別れのストーリー
サーフィンになる pray for surf
「サーフィンになる」と言ったのはジェリー・ロペスだった。
「僕は常にダイエットしている」と言ったのはジョエル・チューダーだった。
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とても愛おしい式に参列した。
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僕がサーフィンと出会ったのは、高校三年生の頃。
あまり優等生でなかった僕と仲間は、毎日、夜遅くまで喫茶店にたむろしていた。
「グリーン」という名の喫茶店だった。
いつも薄暗く、調度品もただダークに古い、というだけの、
爽やかな名前に反して窓際の桟に、ホコリとともに昭和がうずたかく積もっているような、
そんな場末の喫茶店の、
そこのマスターが道郎さんだった。
彼は仕方なく家業の喫茶店を手伝い始めたばかりで、高校生の僕達から見ても、まったくやる気のないマスターだった。
いつ行っても、僕達以外、猫しかいなかったし、
唯一の常連といえる僕達が席についても、しばらく何も出てこなかった。
彼は店の奥でレコードをかけながら本や雑誌を読んでいるだけだった。
とはいえ、僕達は、それでよかった。
仲間うちで、安心してバカ話ができる場所さえあれば。
そんな道郎さんだったが、
打ち解けると無愛想な接客と裏腹に、なかなか面倒見のいい兄貴だった。
彼は、まだまだ子供だった僕達にあらゆることを教えてくれた。
たとえば、リーバイスのカッコいい履き方とか、とても素敵な音楽とか、
トム・ウェイツとか、ボブ・マーリィとか。
あるいは、サーフィンとか。
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そう。サーフィンだ。
道郎さんの生き方の中心には、いつもサーフィンがあった。
サーフィンを始めた理由はとても不純だったらしい。
高校生だった道郎さんが、友人と海水浴に行った際、
浜辺のサーファーの誰もが、とびきりいい女を連れていることに彼はいたく刺激されたらしい。
「サーファーになればいい女と付き合えるのか」
ということで、彼はさっそくサーフィンを始めた。
動機はいたって不純。
けれども、彼はすぐさま、純粋に、サーフィン自体の虜になった。
毎日、鴨川に通いながら腕をあげ、ついでに、というか、念願が叶って、ユウコさんというとびきりいい女を彼女にして、
さらには1年間、世界を放浪して。
だから、そんな道郎さんは、当然、高校生の僕達から見るとまばゆいばかりの存在だった。
あの頃、僕達は、道郎さんを真似ることで、大人になろうとしていた。
道郎さんの好きな音楽を聴き、
道郎さんのファッションの真似をし、
さらには、サーフィンも真似をし。
そう。サーフィンだ。
最初は、道郎さんへの憧れから始めたサーフィンだったが、
とはいえ、いつしか僕達は、自分達だけで海に向かうようになっていた。
道郎さんを真似てるうちに、僕達は、サーフィンそのものの虜になった。
かつて、不純な動機でサーフィンを始めた道郎さんのように、
サーフィンは、いつの間にか、僕達の生き方そのものになっていた。
✨
そんな道郎さんが入院した。
膵臓癌だった。
医師に余命6ヶ月と宣告された道郎さんは、すでにもう、大好きなサーフィンもできないぐらい衰弱していた。
けれど、
それでも、抗癌治療をすることはせず、
ユウコさんと、ハワイを旅行したり、
サーファー仲間を呼んで、ささやかなパーティを開いたり、
そんなとき、道郎さんはいつも、静かに、穏やかに笑っていた。
道郎さんの葬式は、
参列している人すべてが道郎さんを愛しているのがわかる、そんな温かい式だった。
式の最後、ユウコさんが挨拶に立った。
いつも太陽のように明るく、元気なユウコさんが、マイクの前で号泣していた。
号泣しながら、それでも、笑顔を浮かべようとしていた。
癌とわかってからも、道郎さんは一度も弱音を吐くことはなかった、という。
逆に、つい取り乱してしまうユウコさんを励ましてくれた、という。
たとえば、こんなふうに。
僕はそろそろ死ぬかもしれない。
でもユウコ、それは、全然悲しいことじゃないよ。
なぜなら、愛した海に還るだけのことだから。
全然悲しいことじゃない。
だから、僕が死んでも泣かないでね。
笑顔でいてね。
海はすべての生と死を温かく迎え入れてくれる。
生は死につながり、死は生につながっている。
海はそのすべての始まりと終わりにある。
僕の生は、サーフィンとユウコに出会えたから、それだけでよかった。
だから、海に還ることは全然悲しくない。
それに、すごいことを、僕は思い出したんだ。
僕は、
神に出会ってたんだよ。
海で。
三度も。
神様に。
癌になって、初めて、そのことに気づいた。
僕は知らないうちに神に出会っていた。
そう。
神様に。
一度は台風の海で。
巨大なスープに巻かれたとき。
一度は、バリ、ウルワツゥの夕陽の中で。
水平線の彼方から波がやってくるのを待っていたとき。
そして最後の一度は、
ユウコ、
君と訪れたハワイで、
君と二人で、
二人きりで真っ青な海を眺めていたとき。
すごく綺麗な海だった。
君はいつの間にか寝ていた。
僕はひとり、海を眺めていた。
海は、とても穏やかだった。
風が、少しばかり吹いていた。
海面は、キラキラ輝いていた。
永遠のように、キラキラ輝いていた。
そのとき、
神様は僕の前に現れた。
本当に、現れたんだ。
とても穏やかな笑みを浮かべて、そこに、ただいたんだ。
そして、僕にこう言ったんだ。
「なる」と。
それだけ、言ったんだ。
「なる」と。
僕は、その言葉を病室でずっと考えた。
神様は、僕に何を伝えたかったのか、って。
あるとき、すっと答えが舞い降りた。
そうか、って思った。
そうだったのか、って。
神様は、こう伝えたかったんだよ。
死にむかっている僕に。
「なる」は、「成る」だって。
「なる」は「生る」だって。
そして、「なる」は「NALU」だって。
波のことだよ。ハワイの言葉。
そう。
神様は、そのことを伝えてくれたんだ。
いいかい。ユウコ。
神とは海なんだ。
出会うとわかる。
海が神だと。
命が綿々と溶けている海が神なんだと。
出会うとわかる。
海は、命の泉であり、命の行き着く先だってことを。
だから「生み」なんだ。
命は、
神の海のなかで、
ただ、集合離散を繰り返すだけなんだ。
命は、波のように、行きつ戻りつ、海に、ただ、ある。
決してなくならないんだ。
そう思うと、死ぬことは少しも怖くない。
僕はなくならないから。
僕は、ただ「なる」だけだから。
生まれてきた海に、なるだけだから。
だからユウコ。
悲しまないでね。
葬式のとき、笑顔でいてね。
だって、
僕の人生は幸せだったから。
そう。
僕は幸せだった。
すごく幸せだった。
すごくすごく幸せだった。
だって。
サーフィンに出会えたから。
そしてユウコ。
君に出会えたから。
✨
ユウコさんは、道郎さんの言葉を伝えながら、泣いていた。
泣きながら、笑っていた。
笑顔を浮かべて、浮かべようとして、
浮かべよう、浮かべようとして、
笑顔になろうとして、
崩れるように泣いていた。
✨
「サーフィンになる」と言ったのはジェリー・ロペスだった。
サーフィンをする、でもなく、サーフィンで遊ぶ、でもなく、
「サーフィンになる」
✨
「僕は常にダイエットしている」と言ったのはジョエル・チューダーだった。
ジョエルの身体は、月夜の仔鹿のようにしなやかでスマートだ。
それでも彼は「ダイエット」という言葉を口にした。
もちろん、彼の「ダイエット」は、巷の「ダイエット」と根本的に違う。
彼のいう「ダイエット」は、痩せることではない。
敢えて訳せば、身体を浄化させる、身体を神に近づける、ということだ。
この二人に共通しているのは、サーフィンを通して、あるとき、神と繋がった、ということだ。
彼らはサーフィンをすることで、極めることで、あるとき、本当にあるとき、突然、神と繋がったのだ。
神は海だ、と悟ったのだ。
サーフィンというものが不思議なのは、
サーファーは、サーフィンを単なるスポーツと思わない、というところだ。
遊びでもない。
サーファーにとって、
サーフィンはサーフィンでしかない。
それ以外の言葉に置き換えることができない。
敢えていえば、サーフィンは、生き方そのものだ。
そして、サーフィンは、触媒、だ。
太古より綿々と繋がる命と、
海と自分が、
ひとつになるための触媒。
そんなことを教えてくれた道郎さんは、
あるとき、
人としての生を終え、
海になった。
(初出 beach style 平成19年8月1日号 ネコ・パブリッシング)