風街インサイドエッセイ 友達は居てくれるだけでいい
友達は居てくれるだけでいい
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津田くんとは小学3年生からクラスメイトになった。
東京都港区立青山小学校3年2組。
担任はいい具合にいい加減な男の先生。
ところで僕の友達の定義は、「居てくれるだけでいい人」となる。
これまで生きてきてそう思うようになった。
会っても会わなくても、いや、会っていないときこそ、どこか心の片隅に居てくれる人。何か困ったことがあったとしても、心の中にその人が居るだけでちょっと助かる、そんな存在。
それが友達なんだろうと思っている。
そういう意味では、僕の友達は3人になる。
一人は高校から大学にかけてサーフィンで通じていたS。
一人は中学から高校にかけて音楽で通じていたY。
そしてもう一人は、津田くん。
Sとは月に1回ぐらい、Yとは年に1回ぐらい会うが、津田くんとはもう5年以上会っていない。
それでも津田くんは小学校以来ずっと僕の心の中に居てくれている。
津田くんを本当の友達と感じた瞬間を、今でも鮮明に覚えている。
小学3年の秋だった。
先生がいつもの冗談まじりのいい加減な授業で、
「港区には、海があるんだぞ」
と言った日のことだった。
えっ?
僕と津田くんは顔を見合わせた。
それまで僕達の住んでいる場所と海を結びつけたことはなかった。
津田くんは信濃町の権田原に住んでいて、僕は外苑銀杏並木の近くに住んでいて、
僕達の行動エリアは、青山一丁目EIKOジーンズショップ近くの団地から青山三丁目東急ストア近くの団地までで、
その一帯に海の存在はまったくなかったからだ。
放課後、僕と津田くんは、急いで家に戻り、自転車に乗って海を目指した。
先生のいい加減な授業によると、海は青小から見て、右下、つまり六本木の先のほうにあるらしい。
「ホントにあるのかな、港区に海?」
青山墓地前の緩やかな坂を六本木方面に下っていく途中、自転車のペダルを漕ぎながら僕が訊くと、津田くんは、うん、とうなずく。
「だって港区だよ。今までなんで気づかなかったのかな。やっぱり先生ってすごいね」
津田くんは喘息の持病があって、学校も休みがちで、整った横顔と物静かな文学少年的面影をもっていて、つまり同年代よりずっと大人な感じで、事実、思慮深くて、僕は考えより行動が先になる軽薄なタイプだったので、津田くんの言葉がすごく好きだった。
「そうだよね。港区だもんね」
僕はいたく納得してペダルを一層強く踏み込む。
いつも冷静な津田くんも今日はちょっと興奮しているのがわかって、それも僕には嬉しかった。
高速道路に空を覆われている六本木の風景はどうにか見慣れていたので、そのあたりまでは冒険の高揚が僕と津田くんを包んでいたのだが、風向きが変わったのは、麻布十番に抜けたあたりだった。
麻布十番の商店街は夕暮れの買い出しで賑わっていたのだが、僕達には、とても、よそよそしかった。
街は、明らかに異邦の人として、僕達に接してきたのだ。
僕と津田くんは、商店街の片隅に自転車を停めると、買い物かごを下げたお母さんたちを避けるように街路に背中を向けて、持参した「私たちの港区小学三年生」といった感じの社会科副読本についていた港区の地図を広げた。
「たぶん、ここからまっすぐ大きな道を行けば海に着くじゃないかな。ほら、東京タワーの近くを通って」
僕が自らの心細さを吹き飛ばすように、少し声高に言って、でも津田くんはまだじっと地図を見続けている。
陽はさらに傾いてきて、あたりのざわめきはさらに大きくなってきている。
津田くんが突然顔をあげた。
「やっぱり今日はやめよう。海にたどり着く前に夜になっちゃうから」
そしてちょっとうなずいて、笑みを浮かべながらこう続けた。
「今度、お弁当持ってまた来ようよ」
このときの津田くんの横顔の、夕陽に染まっていて、でも笑顔を浮かべていて、ちょっとうなずいたその横顔と麻布十番商店街のざわめきは今でも鮮明に、あれからもう何十年も経つのに、今でもすぐ手で触れられそうなところにある。
その笑顔とうなずきで、僕はとても安心した。たぶん津田くんも本当は不安だったと思うのだが、それでも津田くんはどこまでも冷静で、なおかつ、ここがとても大切なところだが、
僕の不安のすぐそばに、津田くんは、ただ居てくれた。
その瞬間、津田くんは僕の一生の友達になった。
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「旅にあって、詩は、おもいがけなく親しい言葉に、差しで出会った場所だった。詩は人を孤独にしない。詩は友人を数える方法だ。」
長田弘は『詩は友人を数える方法』(講談社 1999)でこう述べている。
人生を旅、と喩えるなら、確かに友人は詩であり、だからこそ、友人の存在は心の中に居るだけでいい。
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また、村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社 1982)の中で「鼠」はこんな台詞を口にしている。
「暇つぶしの友達が本当の友達だって誰かが言ってたな」
村上春樹の初期作品で「僕」の友達「鼠」はとても重要な役割を果たしている。
「鼠」はふらっといなくなったり、あるいは突然現れたりする。行方不明になったと思ったら手紙を送ってきたりもする。けれど会うと「僕」と「鼠」はビールを飲みながらとりとめない話をするだけだ。
それでも、それだからこそ、「僕」にとって「鼠」はいつも心に居る。「僕」の存在を証明する鏡として「鼠」はいつも「僕」の中に居る。
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庄司薫の著作でも友達「小林」はとても重要な役割を果たしている。
「おれはね、今夜ばかりは、おまえがそこに定点観測船よろしくじっとしていて、書斎派でがんばっていてくれるとなんとなく安心な気がするんだよ。」
『ぼくの大好きな青髭』(中央公論者 1977)で、「僕」は「小林」にこんなことを言う。そして冒険へ旅立っていく。
友達とは何だろう、と考える。
たとえば100人の友達がいます、と言う友達と、友達なんかいらない、の友達は、果たして同じ友達なんだろうか。
人生の中での人の出会いは、あまりに恣意的で不公平だ。
僕達はたまたま「同じ地域」の、たまたま「同じ学校」の、たまたま「同い年生まれの」人の中から友達を選んでいく。選ばざるを得ない。それはまさに偶然でしかない。
もちろん今の時代、いわゆる二次元で友達を無尽蔵に作ることは簡単だ。ネットでいくらでも友達は出来る。
それでも実際に触れ合える友達はやはり昔ながらの「たまたま」に依存している。しかも友達が必要な時期は限られている。少なくとも濃密に友達を希求する時期は限られている。
少なくとも濃密に友達を希求する時期は、思春期の芽生えから30歳前後までのように思う。
そういえば村上作品で「鼠」が「僕」の前から永遠に姿を消したのも30歳のときだった。
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思春期から30歳前後まで人は友達と濃密な時間を過ごす。
その時期、友達は実在として自分の周りに居る。
けれどそれ以降、友達は自分の人生から徐々にフェイドアウトしていく。会うのは何年ぶり、という関係に変わっていく。
それでも彼、あるいは彼女は、生涯の友達だ。
会わなくてもいつも心に居る人。
その人を感じるだけで安心できる人。
これが僕の友達の定義だ。
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ところで先ほどの津田くんとの、ささやかな冒険譚には後日談がある。
どちらもいい大人になって再開したとき、僕がそのエピソードを話したら、津田くんはまったく覚えていなかったのだ。
逆に津田くんはこんな話をしてくれた。
「俺が喘息で寝込んで林間学校に行けなかったとき、おまえがお土産持ってきていろいろ面白い話を聞かせてくれただろ。そのとき、津田が居ればもっと楽しかったのになあってホント残念そうな顔で言ったんだ。その瞬間、俺はおまえを一生の友達に認定したんだ」
僕はその光栄な瞬間を、とても残念だけど、まったく覚えていなかった。
津田くんは、昔のままの、静かな微笑みを浮かべて、こう続けた。
「じゃあ、今度いこう。お弁当持って自転車で、何十年越しの冒険に」
そうだった。
僕達はまだ港区の海を見ていなかった。
初出 (「児童心理」2016年5月号 金子書房)